IBDPについて:現役DP生の日常

不定期更新。国際バカロレアについて現役生がぶっちゃけます。

【雑談】大会に行きました。

9月1週間過ぎまして、無事になんとか生きております。

どうも葉山です。

タイトルの通り、大会に行ってきました。先週の土曜日です。

今日はただの雑談回なので常に死んでいる語彙力がさらに死んでいます。

 

 

 

 

 

 

参加させていただいた大会は、Stella Jamと呼ばれるもので

全国規模のジャズフェスです。

葉山の学校は参加校の一つとして、片道9時間かけて行きました。山梨に。

楽しかったです、修学旅行みたいで。

というのも、葉山の学級はコロナ最盛期だったので

シンガポールに行く予定が沖縄に、そしてちょっと遠めに、そして隣県の遊園地に行きました。

修学旅行よりも遠いところに遠征したわけです。

なので葉山は修学旅行気分でトランプを持っていき、メンバーとババ抜きをしました。

無言ババ抜きって虚しいですね。一回限りでしたが、やっぱり楽しかったです。

 

金曜日に移動して、本番は翌日の九時からでした。

葉山の学校も現地入りして、オープニングを待っていました。

そうそう、暇だったので絵を描いていました。会場の全体図。

下手なので絶対見せません。

 

そうしてオープニングの歌が流れました。公式ソングがあるんですこの大会。

その瞬間、他大学が一気に「ウォー!!!」と盛り上がりを見せまして、

これが楽しいのなんの。

周りは(何、怖いんですけど……)感すごかったんですけど、

葉山は空気を読まなかったので(大失礼)

先輩と一緒に「うぉー!!」と叫んでいました。すごく楽しい。

東京にいた頃の葉山は常に笑顔で何事も楽しんでいる奴だったので。

あ、葉山昔東京住んでました。でも親の仕事の関係で今の地に引っ越ししてます。

 

そうして演奏が始まりました。一発目は天下の東京大学様。実は私の元地元です。

一音目からすごかったですね、もう感動し過ぎて涙が勝手に溢れてきて。

「こんなのってアリかよ……最高……」と目を腫らさない程度に泣いてました。

それくらい素晴らしいバンドの皆様が演奏をしてくださったわけです。

その後も、法政大学や甲南高校など著名な大学や中高生が演奏をしていました。

個人的には青山学院大学のグラサンの先輩、ノリが良くて好きでした。

あと横浜市立大学の司会が面白過ぎて、ベストMCはここだなーと思っていました。

 

そんなこんなで私たちの番に。葉山はドラムスとパーカスの担当なので、

重いティンバレスを必死になりながら運んでいました。

同級生に「邪魔!」だの「馬鹿野郎!」だのいろいろと言われましたけど、

これから楽しく演奏できるんだと思ったらそれほど苦じゃなかったです。

同級生も普段そんなこと言わないので多分緊張して気が張っていたんだと思います。

 

そして本番。ステージに立って家族を見つけて手を振って。

そんなこんなで一曲目をやらせていただきました。

東京工業大学様の曲をやらせていただき、さらにありがたいことに

葉山はソロを持っていました。

 

ソロ前の休憩ポイントで私は頭の中でソロのリズムを作っていたんですけど、

たくさんの大学様の演奏を聴いたらそんなのどうでも良くなって、

ただ必死に「私の音を聞いてほしい、楽しんでいる私を見てほしい」と、

まぁ承認欲求の塊みたいなエゴを剥き出しにしてティンバレスソロをやりました。

 

結果練習と全く違う感じのリズムになったので何人かが後で

「ちょっと変えたよね?」と言っていました。

褒めているのか変だと言いたいのかまでは聞かないでおきますが、多分褒められたと思います。

ソロが終わってやり切った、と思っていたときに大学の先輩がいっぱい賞賛の拍手と

声を送ってくださりまして。やってやったぜ、と心の中でアドレナリン洪水化してました。

 

課題曲もドラムスを叩きました。

最後の曲は舞台袖でみんなの演奏を見ていました。

ドラムを始めてやっと一年位たった後輩がかっこよくブラシを握って叩いていて、

サックスのソリやみんなが息を揃えて楽器を吹いているのを見ると、

とても感動して泣きそうでした。

ここで泣くと終わった時変な空気になりそうなのでやめたんですけど。

 

演奏が終了し、ステージ下に降りた私たちは審査員のコメントをいただく機会がありまして、

その時審査員の方が私の名前を呼んでくださいました。

声が震えたまま返事をしたとき、審査員さんはものすごい笑顔を浮かべて仰ったんです。

 

「あなたのソロはすごくよかった。」

「課題曲も叩いてたよね? 最高の演奏でした。」

 

もう壊れかけた涙腺を必死に止めながら、私はありがとうございます、しか返すことができなくて。

折角DPやってるなら英語で返せばよかった、と後から思いました。

その後いろいろ仰られた言葉があったんですけど、心がもういっぱいいっぱいで

うまく覚えていません。録音した講評を何度も聞き返そうと思います。

そのままスティックだけ持ってステージから去って行ったときに、私の涙腺は

見事に決壊しました。なんかよくわかんないけど、褒められたのが純粋に嬉しくて。

「大丈夫ですか?」と聞いてきた後輩の肩に無理やり頭を乗せて大泣きしていました。

かっこ悪い先輩です。ごめんな後輩。でもとんでもなく嬉しかったんだ。

このまま死んだっていいとまで思いました。結局死んでいません。

 

最後に大会なので「賞」を渡される場面がありまして、

葉山はそこで賞を……いただけませんでした。

学校ではありがたいことに賞をいただくことができたんですけど、

あんなに綺麗にソロをやったつもりだったのに、まだ壁は高いです。

まぁその他枠にギターが含まれていたのは盲点でした。

ティンバレスはギターソロに勝てないですね。確かに。

賞自体がソロを評価していなかったということもあるんだろうけど、

少なくともソロ賞とりたかったな、と思いました。高校生の分際で。

 

ですが学校で賞を取ることができたこと、

審査員様に名指しでお褒めの言葉を頂戴されましたこと、

演奏後に感動して大学の先輩がわざわざ私の席まで足を運んでくださったこと、

そして誕生日の祖母に最高の演奏を聞かせることができたこと。

これだけでもすごく幸せ者だな、と思います。思うことにします。悔しい。

 

帰る前、パーカスを片付けて空っぽになったステージを見ていました。

いろいろと思うことがあってまた泣きそうになりました。

 

ちょっとどこかで書いたような自分語りしますね。

葉山は東京から仕事の都合で引っ越しをしましたが、

引っ越し先は方言が強く、おまけにグループもできていて、習慣が全然違う。

自分が意見を言ってもクラスメイトは否定するし、全力でやろうとしてもクラスは

良い言い方で適切な、悪い言い方で中途半端が好きだったんです。

葉山も次第にそれに染まっていました。

結果ちょっと出来の良い中途半端をする引きこもりが出来上がったわけです。

そんな中でも、音楽だけは私を支えてくれました。

たまたま連れて行かされたドラム教室は私をちょっと変えてくれました。

周りに合わせることに必死だったけど、誰もが同じ演奏をすることはできない。

違っていいんだよ、と教えてもらった気がします。

 

まだ出来立ての部活で、葉山は器楽部でドラムをすることを決めました。

最初は面白がってたくさんのクラスメイトが音楽をしていたんですけど、

次第に離れていきました。

葉山はどこにも行ける場所がなくて、音楽に留まっていました。

先生と、今一緒にドラムをやっている一人の後輩と、私の三人で

ひっそりと器楽をやっていたわけです。

そんなひっそりとした器楽が、こんなにもたくさんの仲間に恵まれて、

こんなにも良い演奏をするなんて夢にも思いませんでした。

私は音楽に、自由でいていいと教えてもらいました。

自分の楽しいことを、自分自身を、音楽なら発信できます。

だって言葉は凶器になるけど、音楽は感動を簡単に伝えることができるから。

確かに器楽で先生にも同級生にも後輩にも何度も暴言を吐かれたことがありました。

ドラムの前に立つだけで涙と手の震えが止まらなくなったことだってありました。

でも、それでも私はこの舞台に立つことができて。

あぁ、本当によかったと思いました。

それが、五年間器楽として生活した中での私の答えです。

音楽って、本当に楽しい。

 

 

後書きですが、器楽は本音を言うと今が引き際だと思っています。

ただ、今日音楽の課題で演奏があることが判明し、

アンサンブルもしくはソロを行うようにと言われました。

ソロならまだしも、アンサンブルならこの器楽に残っていなければならない。

器楽は大好きだけど、いい加減後輩に引き継いであげたい。

そうしないといけないとなんとなく今回の大会で思いました。

ただ音楽という科目がそれを妨げることになりつつある。

自由って、そういえば縛られなくちゃいけなかったんだなぁ。

 

 

微妙な話で終わってしまいましたが、

とりあえず大会に行っていろいろ考えたことをまとめてみました。

ではまた次回。