どうも葉山です。
定期的に読み物として自分のブログを読み返しています。
大学生活二年目もそろそろ慣れてきまして、告示が早い期末レポートを
早速書き始めてみたり。
三時間で3000字のレポート+引用参考文献を仕上げられるのは間違いなくDPのおかげですね。
何事も早めにやる。やる気が出た時にいっぱいやるとゾーンに入って継続的に
こなせるようになる。IBの習慣が大学生活でも時々現れててうれしいです。
時々だからね、これがいつもになったらいいのだけどね。あはは……。
さて、まずはお礼を。
表題にもありますが、

なんと?!
祝2万アクセス!!!!
きゃーすごい。ほんとにすごいですね。
一万いったのいつだっけ……
hayamaibdip.hatenablog.com
これかぁ、一年で一万増えたのね!
たくさん読んでくださってうれしいです。葉山とおっても喜んでいます。
少なくとも二万回は悩めるDP生を救えたってことですね。
あるいは授業の暇時間を潰すことができたということ……。
ということでせっかくならと葉山の自我を少しだけ出してみようと思います。
(自我などいつでも書いているだろ冒頭に)
題して「葉山の受験期を振り返ろうの会」です。
DP生っていつから受験関連の準備をしたらいいのかわかんないじゃないっすか。
ずっとMockにむけて動いてて気付いたら出願迫ってて「ア゛ーッ!!!」ってなること
きっと多いと思うんですよ。
ちょーど葉山も振り返りたかったので、せっかくならスケジュール振り返りがてら
どんなことを考えていたのか見てみようと思います。
時々記事の冒頭に書いてたりしたけどね。
1:願書の骨案をつくる(4月)
葉山は同期の誰よりも早く願書を作り始めた記憶と自信があります。
違ったらごめん、すくなくとも早いほうだった記憶があります。
すでに葉山の母校は、高校一年(くらいだったはず)から進路の話について
親と三者面談で共有する機会があったため、志望校を考えることはあまりしませんでした。
受験スケジュールの打診も特には……(後々愚かだと気づく)
ここで誰しも一つ課題にぶち当たるんですね、
Q:そんなに早く書いたら、自分が書く年度の書類ないじゃん
A:そうですが何か?
生意気ですね。でも意外とこれ理にかなってると思ってます。
他校の先輩や先生含めいろいろ聞いてみたんですけど、どうやら受験の願書って
日付以外フォーマットはほとんど変わらないらしいのです。
むしろ変わる場合は半年くらい前に告示されるはず、定員とか特にね。
そのため、早めに書き始めたいけど問いがわからないという場合は、
前年度どのような問いが出たか? というのを見ると意外と役立ちます。
葉山がこの時に書いた志望理由書は7校くらいでした。
(のちに何校か受験断念するけどね)
2:小論文向けに英語対策をする(七月上旬)
葉山の第一希望(仮称:A大学)では、面接ではなく小論文が課されます。
しかもそのうち半分が本文中の和文英訳で。これがまぁえぐいんです。
それに気付いたのが7月前半、Mockの一か月前くらいでした。
時期がおかしい。
Mock前にやるな。
もっとはよやれ。
ので母と相談して和文英訳をマスターできる参考書を購入し
Mock対策と同時並行で進めることにしました。頭がおかしいですね。
この時英語の先生にめちゃくちゃお世話になって、自分の表現の何がダメか、
どうしてこういう言い方になるのかをこっぴどく丁寧に仕込んでもらいました。
個人的には「毎週何曜日に提出」って決めてたことと、
他者を巻き込んで対策していたってことが勉強しなきゃって危機感に貢献してましたね。
個人的にこれはまじで、もっと早く始めたかったところで、
葉山は他者を頼るのが大の苦手なので始めるときの抵抗がすごかったのを覚えています。
毎度参考書を持って行っては
「今お話し中だもんなぁ……」「パソコン作業してるしなぁ……」とモジモジして
爆速で退散をキメた6月。変な挙動ずっとしてました。よくない。
おかげで、試験前日までひぃひぃ言ってる謎人間が爆誕します。
皆様気を付けてくださいね……。
3:試験日程告示(七月下旬~)
おそらくこの時期だった気がします。Mockと同時並行くらいの記憶。
ようやく少しずつ試験日程等が告示されてきました。
試験日程というのは、
- 願書提出開始~締め切り期間
- 一次試験(書類選考)合否連絡日
- 二次試験(面接あるいは筆記)日程
- 最終合格連絡日
あたりの情報です。一部、国際バカロレア資格を利用する大学はこれに追加で、
条件付き合格通達日 があります。
(Mockの点数+面接や小論文で合否を決めるもの。最終合格はFinal点数開示後に出るタイプ。)
葉山はこれが開示され次第、速やかにExcelでスケジュール管理をしていました。
ちょっとPCが変わっちゃったので実際のデータを出すことはできないのですが、
志望理由書をある程度書いていた大学の名前と、書類の有無、
そして日程、参照したドキュメント(引用参考文献??)まで細かく丁寧に
まとめていました。
ここで何がわかるかゆーと、
日程の重複
ですね。
専願・単願の大学の日程がかぶっていたり、急に専願に変わった大学もあったりするので
この大学は受験できないということが分かった時点ですべてを切り捨ててました。
もちろんそれらの大学の志望理由書も書いてた(ガチではないけども)ため、
ちょっと悲しかったですね……。
一生懸命書いてたわけじゃないから別に良かったですけど。うん。
気にしてないよ、うん。
初めての書類選考 8月下旬
八月、第二志望に書類を提出。
この時実は葉山は人生初の夏フェスに家族で行っていて、
楽しもうと思ったのに急に書類不備を学校に指摘されてしまったため、
えんえん泣きながらホテルのコピー機を占領して印刷物を修正した記憶があります。
寝かせてください。キタニに会わせてください。って言いながらロビーで泣き、
コピー機をうぃんうぃん動かしている人間……。不審者でした。
ちなみにこの第二希望、B大学で出さなきゃいけない書類の中には
志望理由書に加えて自己PR書というものがありまして。
自分が高校生3年間でしてきた活動をすべてまとめるのです。
そのため、CASでつけてたエビデンスから何から何までを引用して
必死に20ページくらいの資料を作っていました。
そりゃ印刷機占領しますわ。こんな 阿保みたいな 素晴らしいページ数ですもの。
とは言ったものの、受験した学部が文学というより文化系の学部で、
葉山の活動は文学・地方創生寄りが多かったことから
「これでほんとにいいのか……?」と不安になりながら郵送した記憶があります。
その懸念は的中することになるとは、葉山は知らなかったのです ── 。
第二志望 B大学 不合格をもらう(10月1日)
でしょうね!!!(やけくそ)
不合格だったんです。希望に満ち溢れてたのに。満ち溢れるほどでもなかったかも。
葉山が受けたこの学部、なんと葉山の年だけ倍率が11倍とかいう驚愕の数字で、
おかげで「そりゃ無理だ~」と今なら笑い飛ばせるようにはなりました。
これはさすがに吹っ切れるレベル。
ただ、この不合格が大きく分けて二つ、葉山の心に傷をつけることになります。
一つが、圧倒的な自己嫌悪。
そりゃそうですよね、フェス前の睡眠時間を削って一生懸命作った20ページの書類が
不合格になって帰ってくるなんて、信じたくないです。
このB大学、昔から(私が文学より教育をやろうと考えていたころから)行きたくて
オープンスクールから先輩から何から何までお話を熱心に聞いていた大学でした。
だからかなりしんどかったです。正直初めての合否をもらってもなお引きずってました。
11倍なんて無理とは分かっているし、これでFinal試験中に受験で悩まされることは
ないって思ったとしても、純粋に前向きになることはできなかったです。
二つ目、友達の合格が分かったこと。
細かく日付を覚えてるってだけあって印象的なのですが、この10月初めの時期に
B大学をはじめ早めに総合型選抜・国際バカロレア入試を実施する大学の書類合否が
一斉にわかるんです。大体の場合なので外れ値はあるんですけど。
だからクラス中で「〇〇大受かった~!!」なんて話が飛び交っちゃって。
こわいったらありゃしない。
先生が止めても先生がいないところで話が始まっちゃうんです……。怖い……。
今だから言えるのですが、葉山は同期メンバーがあまり得意ではないので
ひどい言い方をすれば「どうしてあいつは受かったのに葉山は落ちたの?」と。
口が悪いですね。でも、永遠に悔しかったです。
一緒に試験対策をしていた友達から裏切られて、以降卒業式まで全く話してもらえず
ひたすらFinalに利用されるようにもなったりしたし。
とにかく書類選考が通らなかっただけなのに落ちぶれた人と言われ、
ひたすら試験対策に利用され続けることになる葉山氏がここで確立されてしまうのです。
日本語Aで一生懸命に作ったノートを勝手に取られ、返ってきたのが着席完了5分前だったり、
英語の対策ノート一緒に作ろ! といったのに前日になっても向こうの担当箇所が送られず
深夜に作業した意味は一体……と泣きながら早起きしてテクストタイプの資料作ったり
とにかく散々でした、思い出したくないのでここで割愛します。トラウマです。
冗談抜きで、恩師の先生と後輩とFinalっていう明確な目標がなかったら死んでたと思います。
書類通過のおしらせがくる 11月
そんな葉山にも吉報が。
Final試験期間中、はじめての書類通過のお知らせが来ました。
第三志望のC大学とD大学です。
おまけにこれと同時並行で送っていた第一希望A大学、そしてC・D大学の書類が受理されたため、
大学3つ分の面接と小論文対策をすることにしました。
Final前に仕事が増えたはずなのに、すっごく嬉しかったです。
ほんとにうれしかったです。まじで。
第一志望は送れば受けれるというシステムだったのですが、第三志望はそうじゃなかったので、
やっと認められた気がして。進路担当の先生に泣きながら報告しました。
もちろん同期には言いませんでした。
言ったところですでにいじめられてるので信じて貰えなかったでしょうし
余計にFinal対策で利用される未来が見えるので……。
(でもなぜか言ってないのに広まってる恐怖)
といっても、ひったすら小論文対策をしていました。面接はあまりやってなかったです。
葉山はおしゃべり大好きなんですよ。面接とか、自分を売る話し方が好き。
だから進路担当と面接練習(想定質問をAIに出力させて回答している様子を動画にし
進路担当に送り付けてFBをもらう)をしていても不備がなくて。自慢。
そのため、想定質問に対する回答をある程度シミュレーションした後は
ひたすら小論文の書き方と和文英訳の練習を積んでいました。
はじめての面接 C大学 (11月16日)
Finalが無事に終わり、同期がお疲れ様パーティーをしている最中、
葉山は一人新幹線に乗り東京へ向かっていました。
懐かしいですね、このC大学の面接日程がたまたま同期のレクリエーション日で
山登りに行ってたらしいんですけど私だけ面接のため欠席でした。
おかげでこの写真が卒アルの全員集合写真に使われた時には
「私これいないんだよなー」と一人で複雑な心情になったことを覚えています。
あとからちょっとだけ話せる友人に聞いたのですが、
この時のレク、受験云々で仲良しグループが大変動したためかなりギスギスしてたとのことで。
行かなくてよかったです。ありがとうC大学。
さて初めての面接、こちらのC大学はDPを使わない選抜タイプでした。
いわゆるAOですね、自己推薦型です。
そのため、CASでやったような課外活動について振り返る資料を手元に
ひたすら想定質問を考えていました。
ですが葉山の受験番号が後ろすぎて面接の順番がまさかの最後になってですね、
面接官のお姉さんに同情されました。8時に来たのに14時に解放されるとは……。
ゼリー飲料とか持って行ったほうが良かったなぁと自戒。
おかげで読みたかった太宰を読了できたので良かったと思いたいです。
「斜陽」を3周、「津軽」を5周しました。速読スキルの圧倒的大成長すぎます。
しかしこちらの大学、なんと面接がすっごく圧迫でした。
葉山は文学を学びたいと思って文学部を受験しているのに、
「それお前がやる意味ある?」「やってきたことと学問領域違くない?」とか。
いや小説執筆はもろ文学部だろ……と高校生の幼い頭で必死に考えながら
冷静に返答を重ねた記憶があります。
しかもここで、葉山が一番懸念していた「DP生、古典をやってない問題」を突かれたのが
一番の痛手でしたね。
今文学部で古典をやっているからこそ、森鴎外を読んで古事記を学んだだけじゃ
古文も漢文も読めないことなど分かり切ってしまっているのですが、
当時の葉山は何もしないよりはマシ論を掲げていた愚か人間だったため、
「そんなんで文学部研究できると思う?」と問われてしまったときに
かなり傷つきましたね。そんなの本人が一番わかってますから。
当時の面接内容メモが残っていたのですが、すっごい震えた悔しそうな字でした。
大丈夫、大丈夫だよ……(くそでかハグ)
そんなこんなで苦行の20分面接を終え、駅に向かいながら葉山はずっと号泣。
なんでこんな言われなきゃいけないの……って、当時唯一相談事をいっぱいしていた
いとこに電話をかけながら駅まで歩いてました。変人ですね。
悔しかったです。ほんとに。
これが次の日も続くのか……と思うと余計しんどかったですね。
二回目の面接 D大学 (11月17日)
これは東京ではない別地での受験でした。
なのであのC大学の面接を終えた後泣きながら空港に向かい、飛行機で別地へ。
やけくそになりながら鮭イクラ弁当をお昼ご飯に食べました。お昼(17時)です。
でもこの小旅行はちょっと楽しみで、なんてったって、父上と合流できたんです。
受験でそこに行くって話をしたら、父上の友人がそちらに住んでいるとのことで
会いに行きたいからついていく、と。
ということで空港で合流して、市街地まで電車に揺られながらひたすらC大の面接について
愚痴を聞いてもらいました。ごめんね迷惑かけて。
でもそこで父上から
「最後なのに圧迫面接ってことは、誰を取りたいかまだ決まってなかったんだよ」
って言われて。
既に合格させたい人が定員以上いればわざわざ圧迫する必要ないじゃない? と。
さすが父上だなぁ貫禄すげぇなぁと、感動しながらホテルへ向かっていました。
さて、こちらのD大学面接はなんと国際バカロレア資格を使った入試。
そのため、数名の同期と出会いました。書類通過した人こんなにいるんだぁって。
気付かれないようにしたかったのですがなにせ人が少ないのですぐばれる。
ひぇ。
しかも欠席者続出により順番が繰り上がり、なんと二番目。
なにも準備できないどころか太宰を読むことすらできないというピンチに。
あと課題論文(EE)の説明を英語でしなきゃいけないみたいな話を先生から聞いたことを
思い出しちゃって軽くパニックに。
原稿はあきらめて、自分の課題論文を正確に説明できるよう想定質問を作って
回答を固めていました。
時間は全然足りなかったです。事前に作るべき。
でもこの想定質問がバチコーンして綺麗に答えられたので嬉しかったです。
終わった後はご褒美に父とラーメンを食べに行きました。
付け合わせのゆで卵がおいしかったです。
ひたすら小論文 D大学受験後一週間
第一志望のA大学が一番最後の東京受験だったので、父と別れて東京に帰還。
東京にある祖母の家に泊まらせていただきながら、ひたすら過去問を解きました。
朝が苦手なので9時に起きてましたが、時々祖母がラジオ体操のため6時起きをしたので、
一緒にラジオ体操をするべく時々早起きして二度寝してました。
その分夜は12時くらいまでやってましたね……。
遅くにメールしても遅くに返信してくださった先生方には感謝しかないです。
あの時はどうもありがとうございました(二年越しの感謝)
A大学小論文 11月23日
前日は早めに寝たとはいえ、すっごく緊張して寝れませんでした。
確か和文英訳二問と、要約二問だったと思います。
ただこの和文英訳の一問目にとてもてこずってしまって……
終わったころには一時間経っていて、焦りながら要約二問を10分で書き上げました。
あともう一個別形式で論述があったんですけど、この論述が個人的に大好きで。
たしか人工知能と創作者の関係性について、だったんですけど、
葉山は一応創作者の端くれだったのでめちゃくちゃアドレナリン出して書きました。
今でも覚えてるのが、
「創作者が生み出す作品は創作者の固定観念や知識に影響されやすい」
って書いたこと。これの障壁を取り除く一つのきっかけとして人工知能は貢献できる。
それを書けただけで大満足でした。
合否とか関係なく、この一文をかけただけで葉山は終わっていいと思えました。
(もともとかなりレベルが高い大学だと思っていたため合格はあまり
視野に入れてなかったんです……。)
楽しかったです。
第一志望A大学 合否発表 11月28日
なんで23に受けたのに28に出るの?? 今でもぶっ壊れてると思ってます。お疲れ様です。
たしか休日で、震える手で紅茶を飲みながら部屋の中を右往左往していました。
散歩待ちの犬くらいそわそわしてました。
結果、ありがたいことに合格を頂きました。
びっくりです、ふなっしー並みの勢いで布団にジャンプして頭を打ちました。
泣きながら家族といとこにLINEを入れました。
やっと報われた、という安堵感はもちろんあったのですが、
これで同期にいじめられても平気だなと覚悟を決めた瞬間でもありました。
暴言とか無視とかされても、将来の居場所を考えたらちっとも痛くなかったです。
それがつまらなくなったのかは知りませんが、結局彼らは暴言を言わなくなり、
(言ってないのになんで伝わってるんだ? とこの時も不思議だったのですが
どうやら葉山たちの代の合格がかなり良い結果になって嬉しくなった一部の先生が
後輩に伝えたのを又聞きしたらしいということが後に判明しました。)
代わりに無視を決められ続ける毎日が続くようになったので、
ひたすら後輩のために残せる国際バカロレアリソースを作ってました。
日本語Aの問いジェネレータとか、使ってたノートを各教科教員に寄贈するとか。
課題概要の解説記事を作り始めたのも、たしかこの時期ですね。
安心できる材料が一つでもできると、それだけで強くなれます。
人間関係と一緒だぁ、と今では思えます。
そのあとの葉山さんと合否
第一希望の合格を頂いてしまったので、それ以降の合否はあまり気にしなかったのですが、
実は本当にありがたいことにC大もD大も合格を頂きました。
D大に至っては「MockからFinalまで相当点数下がったのに?!」(実は7点落ちてるんです)
と我ながら驚きなんですけど。
D大に進むことを決めた友人から、
「あんなに受けてたのに結局私しかD大いかないよぉ」と言われてさらにびっくり。
第一希望の合格をもらうと人はこうも無情になれるのです……。
あと特筆すべきこととしては、面接までいけるはずだったE大を辞退したことかな。
これも国際バカロレア入試だったのですが、第一希望の合格を伝えた時に
進路担当の先生から事態を勧められまして。
国際バカロレア選抜は合格者が限られている+繰り上げがない(初耳)ので
葉山が行って合格してしまうと受からない人が出てくるからとのこと。
良心とも話してもちろん納得したので、喜んで辞退しました。
第一希望の余裕ってこういうやつなんでしょうね。あまり慢心してはいけない。
それから卒業まで
それからは高校の謎プログラム
(葉山の学校では最後に課題解決プログラムをする謎講義がありました。
国際バカロレアの講義で「総合」の授業の単位読み替えができなかったかららしいです。)
にひたすら取り組んでいました。
このころ、仲良かった友人がある程度合格を決めていて
「あのころは余裕がなかったの~」と言って寄ってきたりもしましたが
適度な距離を持ってできるかぎり普通に接するようにしました。
同期より後輩の残し物作りが忙しかったので……(逃げ)
そうしてなんとか葉山は母校を卒業し、現在A大学にて大学生をして
良い仲間に恵まれて楽しく過ごしているのでした。めでたしめでたし。
おわりに
受験期とDPを振り返ってみてまず思うのは、
第一希望だろうがなんだろうが、
合格があるってだけで安心感が大違いってこと。
まじで自己肯定感の左右が激しい。DP生がやるべきことではない。衛生上よくない。
あとはよくも悪くも、同期といろいろあったりストレスがたまったときに
Finalっていう逃げ道があったというのがありがたかったですね。
勉強でいい大学受かって見返してやる! って思えたことが、
たぶんここまで自分を連れてきてくれたんだろうなぁと思います。
ぜひ、DP生の皆さんは、Finalをモンスターと捉えるのではなく、
受験や進路の不安からの逃避行先として思ってみてください。
え、Finalがストレス……? そんなもん逃げたって来るんだからやれ。んで寝ろ。
もうさすがに同期も読まないと思う(というか日程が合わなくて同窓会いかない)ので
かなりぶっちゃけた話を書きましたが……。
皆様の受験イメージに役立てられる一つの体験談として活用できればうれしいです。
ではでは。
2万ありがとね。