IBDP体験記 現役DP生が 国際バカロレア を解説してみた

不定期更新。国際バカロレアについて現役生がぶっちゃけます。

【雑談】 久しぶりに母校に帰ってみた話

どうも葉山です。

別の媒体の方も含めて二ヶ月くらい出没していませんでしたね。

なんかいろいろ忙しくてそこまで手が回りませんでした!!(言い訳)

 

本当のこと言うとなかなか起き上がれなかったのと、

疲れやら中高時代みたいな「やりたいことに向き合う気力」がなくなってきていて

老いを感じております。(まだ大学生だよね??)

 

身内でもこの春学期にもけっこー慌ただしいことがいっぱいあったので……。

 

憧れの学バンサークルに入ったと思ったら掛け持ち先とのスケジュールが合わなくて中途半端になり

同パートの一年生に演奏がなってないとか日常生活の些細なことで三ヶ月間くらい

怒鳴られてしまったため7月末をもってメンバーから応援隊に転換したこととか、

 

掛け持ち先のミュージカルサークルで新人公演の役者をしたら

めちゃくちゃ居心地が良くて楽しかったこととか、

 

飲食のバイトをしたくて某ドーナツ店にバイトしに行ったら

空きコマから土日の空き時間から全部バイトに入れられそうになって三日で辞めたとか、

 

次に選んだ個別指導塾の講師がめちゃくちゃ楽しくて英語の基礎とか文法をやっと理解したとか、

 

と思ったらリーディングめちゃくちゃ解ったはずなのに英検のスコアが全然伸びてないとか、

 

島の避難経路がひどい話をしてめっちゃ学術的なプレゼンをしたにも関わらず評価A(最大S)とか、

 

例のブラジル政治学の先生とめちゃくちゃ仲良しになって最終授業の時に

先生の恩師と日本政治について質疑応答をしてめちゃくちゃ学べたことがあったとか。

 

濃い。濃すぎる三ヶ月でした。

 

 

 

 

そんな春学期が終わった葉山さんですが、ふと、夏、7月くらいに一個思い出したことがあって。

そういえば、葉山さん、

 

夏に母校戻るって話したな──?

 

 

遡ること卒業式の日……。

先輩を送り出しながら寂しそうにする後輩を宥めるために

(というか葉山も普通にまた海で泳ぎたいなと思ってたのも相まって)

「大丈夫葉山どーせ夏に来るから」なんてことをほざいていたのです。

 

ということで。

期末テスト終わった期間くらいのタイミング、八月入る寸前のある日。

唐突に「母校に帰るぞーDAY」を企画し始めました。

それなりに遠い離島(ほぼ監獄(自虐))にあるので両親が了承してくれるか不安だったのですが、

あっさりと「OK」をいただいたので無事決行を決意。

 

 

 

しかしここで一個問題が。

 

葉山「母校行って何すんねん……。」

 

 

お馴染み自己肯定感が薄すぎることで有名な葉山さん、

母校訪問行って喜んでもらえるかどうかかなり迷走していました。

その期間なんと三ヶ月。長い。長すぎるね。

 

よくよく考えてみれば母校訪問ってみんな何するんでしょうか。

大学の友人や元同級生も何人か母校訪問に行っている人がいて聞いてみたところ、

お世話になった地域の人に挨拶をしてみたり、

先生と近況のお話をしたり、

それから部活訪問に行ったり、

 

部活訪問、

部活、

 

あ、器楽。

 

 

ということで葉山の故郷の一つである器楽部の見学を一大イベントに据えて、

後輩が帰ってきている9月のなんでもない部活日に母校訪問をすることに。

なんでもない日に急に特別があるといいじゃないですか。

葉山がそういうロマンチックなこと大好きなだけです。

 

ということで学校が始まって三週間くらい経ってる

なんの変哲もない日のどうでもいい時間帯(辛うじて部活活動中ではある)に

母校訪問に行くことにしました。

連絡を取ってたのが大好きな教頭先生と進路担当でお世話になった先生、

それからご存じお世話になりまくりだった器楽兼音楽の担当先生の4〜5人だけでした。

まじで他の先生にも寮関連の人にも後輩にすら連絡をしていない、

なんちゃってサプライズ訪問でした。

 

当然先生に何も言っていなかった弊害は大きく、

職員室に訪れた後担任と音楽の先生と小一時間トーク会してた時にすれ違った先生には

「一瞬誰かと思った」と言われ、

EEでお世話になった先生に「今日は白衣じゃないんですねー」

(なんかいつも白衣をひらひらさせて歩いてる先生だったので)って声かけてみたら

苦笑いされて挨拶した後去っていきました。ひどい。

あとで母上から「多分葉山だってわからなかったんだよ」と慰められました。

うう、こういう時にグイグイ行けないのがコミュ障葉山というものでして……。

 

あと個人的には豪雨で電車が止まったせいで休校になったためついてきた妹が

可愛いもの好きな後輩とレッサーパンダについて語り合っていた光景が

一番微笑ましかったですね。可愛いと可愛いが渋滞している。

ちなみに妹は帰りの船の中でずーっとレッサーパンダグッズの店HPを眺めては

「みてみて、ぱんだもいる。」と大興奮でした。

よかったね。

 

あと器楽!!!! メインイベント!!!

今年は後輩がいっぱい入ってくれたということで、

高齢化を経験していた葉山にとっては、もう、もう……(感涙)

忙しかったり最近再流行しているコロナにやられて十分な練習を行えてなかったりするらしく

なかなか大変なご時世だな……とは思いつつ。

でも葉山がうちの器楽で一番大好きな有り余ってる元気感のある演奏と、

アップビートが聴けたので大満足です。

いつも通りの音楽の先生の指導も、国語のお世話になりまくった先生の

すげーイカしてる(言い方)バリバリのトランペットも聴けたので満足。ご馳走様です。

葉山はもう学バンを引退してしまったので楽器に触れる機会は無くなってしまったのですが、

最後にちょっとだけクラッシュ鳴らしたあの瞬間が楽しかったので、

まだまだ音楽したいなーと未練たらたらになりました。悔しい。

 

でも総じて久しぶりに後輩に出会うことができて葉山さん大満足です。

受験に追われながらもなんとか楽しそうにわちゃわちゃしてる人もいれば

なぜか椅子取りゲームで葉山の名前が聞こえてきたり

(めちゃ恥ずかしかったけど嬉しかったですありがとうございます全員大好き)

部活行く直前に走ってきた人とかいろいろいて、

それがみーんな、かつて葉山がここで生活していた時にみていた光景がそのままで、

変わっていない暖かさにとても心を解された瞬間でした。

 

東京の大学で一人暮らしの葉山にとっては

まだまだ人間関係も十分繋がっているわけではなく、

母校のように24時間ほぼ365日一緒に生活していても、

大学生たるもの「完全に同じリズム」で生活しているわけではないからこそ、

これほどまでに接点があるわけではないのです。

特に葉山は後輩は大好きですが同級生との良い思い出があまりなかったので、

(今でも時々連絡を取ってる大好きな同級生は八咫烏の足数で数えても余るくらいしかいない)

後輩とずっと一緒にいろんなこと話したり、面倒見たりしている時間にずっと救われてました。

 

それでも逆に、今ずっと一緒にいる人がいないからこそ、

(中高の寮生活以上に遠いところに家族がいるのも相まり)

一人だなあとか、仲間って偉大なんだなってことを常々感じる日々を送っています。

だからちょっぴり、あの環境を羨ましく思ったと同時に

自分もまだまだ頑張らなきゃなと、変に堕落した先輩になったら

後輩が悲しんじゃうなーということでいろんな元気をもらえた一日でした。

 

あと思ったより葉山が後輩に認知されてたことにもびっくりしました、

特に中学生。可愛い。もうなんなんだあの可愛さは。

いつまでも元気でいてね……!!! (号泣)

 

きっともう国際バカロレアの話を新しく書く記事を葉山が書くことはないかもしれませんが、

実際にIBDPをやってた葉山がこんな感じのことを考えて生きてたんだなということと、

こういうタイミングでこんな課題をしなきゃ行けなんだなという見通しなどなど

これからもこのIBDP体験記が未来のDP生の支えになってくれたら嬉しく思います。

そういえばそれがこのブログの目的だったな、なんてことも思い出してます。

 

高二でこれを始動してがむしゃらにやってた葉山さん、

あなたは二年後、

もう覚えられてないかもと思ってた後輩から、あなたが思ってる以上の人から、

あなたの記事に助けられてます って声をこれでもかと聞くことになるよ。

記事アクセス数も1万を超えたよ。

よかったね。頑張ったね。

 

 

後輩の皆さん、

またいつかお会いしましょう。

葉山も病まない程度に頑張ります。

 

ではではー。